2016年08月14日

ぶらり白河の旅2016

高校時代3年間通った白河をレンタサイクルでぶらり旅。
白河駅観光案内所で無料で貸してもらえます。
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白河市公認ゆるキャラ「しらかわん」
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こちらは公認萌えキャラ「小峰シロ」
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白河駅 
大正10年完成、東北の駅100選。
「日本国内で確実に10本の指に入る名駅舎」とベタ褒めして下さる方もいる。
主人も「これは絶対に改築したらダメだ」と。
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腹が減っては戦は出来ぬ
朝7時に大宮を出て飲まず食わずで各駅電車に揺られ約3時間、駅前のコンビニでおにぎりを
買って食べることに。
白虎みそをつかったおにぎりがあるとは!
「会津の人はな、頑固だからなぁし、お味噌作るにも、じっくり作るのな」
幼いころ良く見た白虎みそのCMを思い出す。食べ終えていざ出陣!
まず震災で石垣が崩れ、現在修復作業中の小峰城石垣復興イベントへ。
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駅前から見る小峰城
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小峰城は駅と線路を挟んで向かいにある。
今は広くてきれいな連絡通路もできたが、あえて昔からの連絡通路から。
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国史跡 白河小峰城(日本名城100選・東北三名城の一つ)
私が高校3年の時に三重櫓(天守に相当)が復元された。
が、当時(バブル真っ只中)はあまりの小ささに
「田舎の金持ちが自宅を城風に作ったものと思った(城の左下にある門は当時なかった)」
とまで言われる始末orz
し、失礼な!!💦
以下白く囲いがある所は、震災の影響で工事中のため。
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本丸跡はこんな感じ
史跡に認定されてから国からお金が出たのか、門を復元したり資料館作ったり、城中や街中
にも跡に案内版作ったり、いろいろと環境整備している。
今考えるとありえないが、現在は広場だけど昔はここ(石垣の下)が
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野球場だった…。南こうせつさんの野外コンサートを、電車待ちしてる間に駅のホームで
聞いてたのを覚えてる。目の前なもんで。
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城はどこもそうだけど、敵を天守閣へ容易に向かわせないように工夫されていて、階段は
これ角度は何度あるのだろうか。この傾斜じゃさぞかし大変だっただろう。
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そして小峰城といえば忘れてはいけない「おとめ桜」
石垣を積む作業中に何度も崩れ、占い師に見てもらったところ「人柱を立てろ」と。
「年齢性別職業金持ち貧乏一切不問、工事現場に一番最初に来た人を人柱にする」
ということになったところへ、現場関係者の娘「おとめ」が父の忘れた荷物を届けに来た。
父はもちろん「こっちへ来るな!」とジェスチャーしたのだがおとめは「早く来い」と
勘違いしてしまい…
おとめは捕えられ人柱になった辺りに、この「おとめ桜」が植えられている。
初代は戊辰戦争で燃えてしまい、この桜は2代目。
小峰城の北側に「追廻(おいまわし)」という地名があるのだが、ここはおとめが逃げ
回ったとされるところ。
それから、私が小学校の時校外学習でここに来た時には
「一番初めに来た若い女性を人柱にする」
と教わったのだが、人の価値観はそれぞれなので、何歳までを「若い娘」と解釈するか
今考えるとこれだと難しい設定だと思われる。それで石垣が相変わらず崩れたら「若い娘」
じゃなかったわけだし、人柱になるのを避けて人は絶対来なくなるし。
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普段は入れない作業場所を年数回公開して下さっている。
大改修から約400年、石垣が壊れたことはとても悲しかったが、400年に一度の作業を目の
当たりにすることができたのはとてもラッキーだった。

駅から高校時代の通学路を走ってみた。
大手門通りを抜け、城下町特有の「鉤形」とよばれるクランクの道を曲がると
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脇本陣「柳屋」跡
道路を挟んで向かいは本陣跡。
戊辰戦争の際は新撰組の宿営地になった。残念ながら工事中。
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新撰組ファンの方はご存じだろうが、沖田総司は白河藩士の子。
白河口の戦い(後述)の最中に江戸で亡くなってしまった。
生まれたのは江戸城下の白河藩屋敷・今の西麻布だが、日テレの年末時代劇「白虎隊」で
沖田総司演じた中川勝彦さん(中川翔子さんの父)に
「俺の国(故郷)は奥州白河 京都よりは江戸の方が近い」
というセリフがあり、出演前からファンだった姉は
「かっちゃんの口から白河という言葉が出ただけで嬉しい!!」
と狂喜していた。
今までいろんな沖田総司を見てきたが、彼が一番良く合ってると今でも思う。
白虎隊記念館にご遺族提供の撮影時の写真が飾られているので、行かれた方はぜひ。
NHKFMの「ジョイフルポップ」聴いてました、懐かしいな~。
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円明寺橋・谷津田(やんた)川
「血染めの川」とも言われた。
戊辰戦争で捕えられた東軍の兵士がここで首をはねられ、首と胴体を橋から投げ捨てられ
支流なのであまり川の流れも激しくなく、川は血で真っ赤に染められたと…。
この先通学路からは逸れるが
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「会津磐梯山」で有名な小原庄助の墓
酒好きなので徳利と杯の形をしている。お供えにも酒が。
ここの寺には新撰組隊士・菊地央(たのむ)の墓もある。
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宗祇戻し
母校の近く・関山街道と石川街道の分岐点
室町時代、連歌師の飯尾宗祇が白河で連歌の会があったのでやって来た。
ここで綿売りの少女に出会い
「この綿は売るか?」
とからかって声を掛けたところ
「阿武隈の 川瀬にすめる 鮎にこそ うるかといへる わたはありけれ」
(この近くの阿武隈川に棲んでいる鮎になら「うるか」という「わた(内臓)」はあり
ますよ)
と和歌で即答された。
教養の高さに驚いた宗祇は自分はかなわないと、会には出ずに引き返した伝説の場所。
江戸時代になって松尾芭蕉もここを訪れている。
俳句が趣味の母がかつて某大企業の会長が「東北には文化がない」と言ったことで
不買運動まで起きた時、宗祇戻しのことを出し「文化がないなんて冗談じゃない!」と
大憤慨していた。
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白河ハリストス正教会
101年前に作られた、全国でも稀なビザンチン様式ギリシャ正教会系の教会。
小学生の時ここでのお葬式に出たことある…と思っていたが、近くの別の教会だった。
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午後2時
白河に来て「白河ラーメン」を食べずに帰るのはもったいない。
高校の同級生の家が経営する「手打ち中華すずき」へ行くことに。
しかし店には来たもののまだ行列が…。しばらく待っていたが時間も限られてるので他店に
行くことに。
この辺は人気ラーメン店が多いが、どこも車がいっぱいだった。
「おにぎりあたためますか」で来た「あずま」もこの近く。
結局「手打ち中華すずき」がまだ「食堂すずき」だった時よく間違われた「鈴木食堂」へ。
小中学校の後輩の演歌歌手・津吹みゆちゃんの「望郷恋歌」のポスターが貼ってあった。
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史跡および名勝・県立南湖公園
「寛政の改革」で知られる松平定信が作った日本最古の公園。「手打中華すずき」近く。
高校時代は部活の花見で毎年使った。
車座になって語り合った場所は有料の日本庭園になってしまい…ちょっと残念。

<戊辰戦争 白河口の戦い>
稲荷山・雷神山・写真にはないが立石山の3つの山を東軍が拠点にしていたが、西軍が3手に
わかれて早朝2時間おきに奇襲攻撃をしかけた。
・雷神山
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母校の近くで、4月末の「新入生歓迎ダンスパーティ」が終わった最初の体育の授業は3年間
必ずここの山頂までのマラソンだった。
3枚目の矢印のところが第一・第二体育館。
「きょうの料理」に出ていた料理研究家の本田よう一さんは、高校の後輩。
彼も雷神山マラソンやらされたのだろうか。
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・稲荷山
白河口の戦いで最大の激戦地 
一日で東軍兵士700人が死んだと言われている。
小峰城の復元の際に使われている木材はこの山で伐採されているが、その時の銃弾や弾痕が
発見されて、城の中で見ることができる。
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戦死者の碑
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分かりやすく言えば東軍総監督だった西郷頼母の歌碑
「身を隠せるかたつむりがうらやましい」の意
家臣は身代りに切腹、奥さん子供は「足手まといになる」と自害、会津藩の人たちに責め
られ、西軍の兵士からは「朝敵の将」と言われ…。
経験もなく総監督としてのリーダーシップはなかったようだが、任命した会津藩主の松平
容保が、生涯戊辰戦争のことを口にすることがなかったそうなので、未だに理由は不明。
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敵であるはずの西軍の兵士の墓
この時白河藩は藩主がしくじりをしてしまい他藩に国替え・小峰城は空き城状態。
厳密に言えばこの戦いに白河藩士はいない。なので白河では戊辰戦争の戦場になったことを
「場所を貸しただけ」
という人もいる。
市内・近隣市町村の何十か所に東軍・西軍の慰霊碑や墓など、敵味方関係なく葬っている。
ところでこの稲荷山、高校時代に遠足で来たことがあるのだが、もっと広い原っぱみたいな
所で鹿嶋神社の近くじゃなかったっけ…?
とつい先ほどまで記憶していたが「原っぱみたいな所」とは山裾のことだった。

今日から夏休みなので「白虎隊」を久々に見るか。何度見ても泣けるんだよなぁ…T_T
posted by アパート管理人 at 12:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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