レポート
今回は「三陸鉄道」宮古~小本間と「JR岩泉線」岩泉~茂市間
今回の旅での宿泊は宮古駅隣のホテル。
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翌朝、主人が外に出た途端「デジカメ貸してっ!」と駅へ猛ダッシュ!
盛岡行きの「キハ52」が停車していたためだが、塗装が「国鉄カラー(色)」と呼ばれる
大変古く、今では珍しいものだそうだ。
あーそういや、私が小さい時は特急とかみんなこんな色だった。
地方ではまだ国鉄時代の車両が頑張っている。
まずは三陸鉄道「北リアス線」に乗ることに。
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港町らしく、駅には大漁旗が数枚。やがて列車がやって来た。
「FC東京の応援列車みたいだな」というのが正直な感想。シートはリクライニングもついて
とてもきれい!
江ノ電みたいに、民家の前スレスレに登るようにして列車は進む。
リアス式海岸を横切るように走る風景が有名だが、実はほとんどが山の中かトンネル^^;
釜石へ向かう「南リアス線」だと見えるかもしれないけど。
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列車は「小本駅」へ到着!標識の一番上にかたどられているのは三陸で獲れる「南部ハナマガリ鮭」と思われる。
小本で下車してバスで「龍泉洞」へ。串もちが非常に美味しかった!
2人で3本食べたが、龍泉洞入口近くの売店より「龍泉洞観光会館」で売られていたものの方
が美味しかった。前者はやや固くあぶってるという感じ、
後者は串から落ちない程度に柔らかく、炭火で焦げ目がつく程度まで焼いてくれる。
店員さんの態度も少し影響?行かれる方はご参考に。
見学部分は省略し^^; タクシーで岩泉駅へ。
駅舎は薄暗く古いが結構広い。2階は商工会議所がある。
駅員さんは委託なので、ホームに勝手にいようが線路に降りようが何も言わない。
なので計画が頓挫した未開通部分を歩いてみた。
余談だが、新白河駅の在来線下りホームから、木立の中に入り込んだレールを見ることが
できる。
あの先がどうなっているか、見たい気持ちは山々なのだが、さすがに人がいる手前行けずに
いる(三菱製紙工場の引き込み線でした)
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おそらく近くの高校の通学用にと一日3本しか列車は来ないが「並行する国道340号
押角峠が急カーブかつ幅員狭小で大型車が通れない」ため、廃線にならずに現在に至る。
今回は片道だけの乗車となった。
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全駅撮ったど~!
その後2回乗り継ぎをして、義母の実家のある最寄り駅の「津軽石駅」まで。
で、海鮮バーベキューと相成ったのである^^
あと今は判りませんが以前、義妹の母が龍泉洞で例のお餅売ってた記憶が。。。
あと宮古駅前の蛇の目寿司行きましたか!?地元の人が行くおすし屋さんです。
義弟が宮古市内に住んでますし主人の友人も市内に沢山。でもなかなか行けなくなった岩手です。
そうですか、ご主人は和井内にお住まいだったのですね。私としてもぜひ見ていただきたい気持ちは山々ですが(^▽^;)
「押角」こそ秘境中の秘境といった感じでした。何のためにあそこに駅があるのかと…^^;
でもちゃんと押角以外の駅付近には集落がありました。
串もちのお店は、観光会館の方はご年配の女性がやってましたので、もしかしてご親戚の方かも??龍泉洞近くの売店は、若いお姉ちゃんがすこし「かったるそうに」やってました。
個人的には「厳美渓のかっこうだんご」も食べてみたかったですね~♪
「蛇の目寿司」は駅を背にして左ですね!駅でてすぐのところ、あったのは気づきましたが、行きませんでした。ううう、次はぜひ!
この夏はわざわざ三宮・京都間をスーパーはくとを乗りに関西まで出かけてしまいました。
JR路線を走る別会社線のディーゼル特急だったので。
それに三宮からわざわざ特急乗る人はいないと思って。
途中大阪駅からは貸し切り状態になってちょっと得した気分でした。
「岩泉線」は「バトルジャパン(2×年前の戦隊ヒーロー)みたい」を思い出しました。三陸鉄道は、2両目は色が逆転して、赤が基色でした。
「スーパーはくと」に乗られたそうで、漫画「駅弁ひとり旅」に掲載されたばかりです。鳥取までは行かなかったんですね。
ところで「HOT」って何の略でしたっけ?
やたらとおはようございます。
HOTは確か兵庫・岡山・鳥取の
頭文字だったと思いますが。
宮古に行ったことがありますが
イチゴ弁当売り切れで
大変悔しい思いをしました。
三陸鉄道は硬券を発売してたので
やたらとうれしかったです。
「HOT」の略の件、ありがとうございました。そうだそうだ、これでスッキリしました^▽^
「イチゴ弁当」ですが、主人は忘れていたのか買わなかったです。私は実はウニが嫌いで…^^;好きな人にはたまらないでしょうね。
三陸鉄道は今は自販機で切符を売っています。硬券は記念切符として発売していました。こうするなどして少しでも収益を増やしていますが、かなり経営はきついようです…。